人生における大きな喜びは、君にはできないと世間がいうことをやることである
── ウォルター・バジョット
The great pleasure in life is doing what people say you cannot do.
人物
ウォルター・バジョット(1826–1877)。イギリスの評論家・経済ジャーナリスト。 サマセット州ラングポートの銀行家の家に生まれ、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジに学んだ。 家業の銀行を手伝いながら文筆を続け、1860 年から死ぬまで週刊誌『エコノミスト』の編集長を務めた。 『イギリス憲政論』(1867 年)で議会政治を「尊厳的部分」と「実効的部分」に分けて論じ、『ロンバード街』(1873 年)で中央銀行が最後の貸し手になるべきことを説いた。 経済と政治の評論で知られるが、書き出しは文学評論で、シェイクスピアやミルトンの論を多く残している。
出典
評論「シェイクスピア――その人(Shakespeare—the Man)」(1853 年)。 没後に R. H. ハットンが編んだ『文学研究(Literary Studies)』(ロングマンズ・グリーン社、1879 年、全 2 巻)第 1 巻の第 4 論文で、126 ページから 172 ページ。 問題の一文はその終盤、170–171 ページにある(ページの柱が一部欠けており、どちらのページかまでは絞れなかった)。 Internet Archive にある同書のスキャン本文で確認した。 初出は雑誌 Prospective Review の 1853 年 7 月号とされるが、雑誌そのものは未確認。
文脈は伝記論。 バジョットは、シェイクスピアの人柄を作品から読み取ろうとしたうえで、確かな史料が残っている数少ない事実として「彼は金を作った」を挙げる。 グローブ座の持ち主として稼いだ金でストラトフォードの土地を買い、故郷に地主として帰った。 羊毛梳きの息子、密猟者、ろくでなしと言われていた男が、財産のある紳士として戻ってくる。 その快さを説明する一文がこれで、直後に、小説家でユダヤ人で計算ができないと言われながら財務大臣の職を楽しんだディズレーリの例が続く。
流布している英語は "The greatest pleasure in life…" だが、本文は "The great pleasure in life…"。 最上級ではない。 日本語の「大きな喜び」は、誤引用のほうではなく本文の great に対応している。
原文
It was a great thing that he, the son of the wool-comber, the poacher, the good-for-nothing, the vagabond (for so we fear the phrase went in Shakespeare's youth), should return upon the old scene a substantial man, a person of capital, a freeholder, a gentleman to be respected, and over whom even a burgess could not affect the least superiority. The great pleasure in life is doing what people say you cannot do.
直訳。 羊毛梳きの息子、密猟者、ろくでなし、宿無し(シェイクスピアの若い頃はそう言われていたらしい)だった男が、昔の土地へ、財産のある一人前の人物、資本を持つ者、自由土地保有者、敬意を払われる紳士、市参事会員でさえ少しも上に立てない相手として帰ってくる。これは大したことだった。人生の大きな喜びは、お前にはできないと人が言うことをやることである。
語句の和訳
| 原語 | 和訳 | メモ |
|---|---|---|
| the great pleasure in life | 人生の大きな喜び | 流布形の greatest(最大の)は誤引用 |
| doing what … | …することだ | 動名詞。行為そのものが喜びだと言っている |
| people say | 人が言う | 世間一般。特定の誰かではない |
| you cannot do | あなたにはできない | 直接話法の名残で二人称。読者に向け直している |
| the wool-comber | 羊毛梳き | 毛を梳く職人。シェイクスピアの父の商売にちなむ悪口 |
| the poacher | 密猟者 | 若いシェイクスピアが鹿を盗んだという伝説を指す |
| the good-for-nothing | ろくでなし | 定冠詞+形容詞で人を表す形 |
| a substantial man | 財産のある一人前の人物 | substantial は「実体のある」から「資産のある」へ |
| a freeholder | 自由土地保有者 | 借地ではなく自分の土地を持つ者。当時の社会的地位を示す |
| a burgess | 市参事会員 | 自治都市の有力者。その相手でさえ見下せない、という誇張 |