とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし
── 福沢諭吉
人物
福沢諭吉(1835–1901)。豊前中津藩の下級武士の子として、大坂の中津藩蔵屋敷に生まれた。 緒方洪庵の適塾で蘭学を修め、のち英学に転じ、幕府の使節に加わって三度欧米を見た。 慶應義塾を開き、日刊紙『時事新報』を創刊した。 『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』などで、個人が独立してはじめて国が立つという考えを広めた。 官職に就かず、塾と新聞という自前の場から書き続けた。
出典
名言サイトの多くは『福翁百話』(1897 年)を出典に挙げる。 しかし一次資料での裏付けは取れなかった。 国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索で、明治 30 年版・明治 35 年の合本・明治 40 年版・ポケット版・『福沢全集』所収版のいずれにも、この一文は見つからない。 旧字と総ルビの本で文字認識の精度が低いため「無い」と断定はできないが、五種類の版で一度も掛からないのは弱い材料ではない。
趣旨がいちばん近い章は『福翁百話』第十三話「事物を軽く視て始めて活溌なるを得べし」で、その書き出しは「人間の心掛けは兎角浮世を軽く視て熱心に過ぎざるに在り」。 「あまり人生を重く見ず」と重なるが、芝居のたとえは出てこない。
活字で辿れる最も古い例は『当世奥様気質』(福田琴月、1908 年)で、「人生は芝居の如し、上手な俳優が乞食になる事もあれば、大根役者が殿様となることあり、とかくあまり人生を重く見ず……」の形。 ここで福沢の名を添えているかどうかは確認できなかった。 福沢諭吉の言葉と明記した例は『自治・産業・教化躍進日本』(1938 年)にあり、同じ一節を引いたうえで「とは福澤諭吉の曰だ」と結んでいる。 福沢の没年は 1901 年なので、確認できた最も古い活字は死後 7 年、名前付きの明記は死後 37 年になる。
言い回しも一定しない。 『修身及公民科指導講座』(1941 年)は「人生を重く見ず」ではなく「人事を重く見ず」で引く。 福沢は「人事」という語をよく使い、『福翁百話』にも「人事に学問の思想を要す」「人事難しと覚悟す可し」「人事に絶対の美なし」といった題がある。 そのため「人事」のほうが古い形である可能性はあるが、決め手はない。
まとめると、福沢の言葉として明治末から昭和にかけて流布した一節であることは確認できたが、福沢自身の著作に遡ることはできなかった。
原文
原典の字面は特定できなかった。
活字で流布した形のうち、最も長く整った形は次のとおり(『修身及公民科指導講座』1941 年)。
人生は芝居の如し。上手な俳優が乞食になることもあれば、大根役者が殿樣になることもある。とかく餘り人事を重く見ず、捨身になつて何事も一心にすべし
現代語訳。 人生は芝居のようなものだ。 うまい役者が乞食になることもあれば、下手な役者が殿様になることもある。 だから物事をあまり重く受け止めず、身を捨てるつもりで、何事にも一心に取り組むのがよい。
「上手な俳優が乞食になる」は、役として乞食を演じるとも、実人生で落ちぶれるとも読める。 芝居のたとえなので前者が素直だが、後者の意味で引かれることも多い。
語句の説明
明治の文語なので、現代語と離れた語だけ説明する。
| 語句 | 意味 | メモ |
|---|---|---|
| 芝居の如し | 芝居のようだ | 「如し」は文語の比況。口語なら「〜のようだ」 |
| 大根役者 | 演技の下手な役者 | 江戸期からの俗語。大根は消化がよく「あたらない」からという説が有力 |
| とかく | どうも・ともすると | 断定を避けて助言に導く前置き |
| 人事/人生 | 世の中のこと/人の一生 | 1941 年の引用は「人事」。流布形は「人生」。どちらが古いかは未確認 |
| 捨身になつて | 身を捨てる覚悟で | 仏教語の「捨身」が語源。損得の計算をやめる意 |
| 一心に | わき目もふらず | 「捨身」と対。手を抜けという話ではない |
| なすべし | やるのがよい | 「べし」は当然・勧誘の助動詞。命令より穏やかな押し方 |