弱者は決して許すことができない。許しは強者の態度である── ガンディー

この道より我を生かす道なし この道を歩く

── 武者小路実篤

人物

武者小路実篤(1885–1976)。小説家・劇作家・画家。 子爵家に生まれ、学習院から東京帝国大学に進んで中退した。 志賀直哉らと同人誌『白樺』を創刊し、トルストイの影響のもとで人間の善意を信じる作風を通した。 1918 年、宮崎県に理想の共同体「新しき村」を作って自ら移り住んだ。 晩年は色紙に野菜や果物の絵と短い言葉を書き、それが小説以上に世間に知られた。

出典

詩「この道より」の一節。 国立国会図書館のレファレンス協同データベースの回答によれば、『武者小路実篤全集』第 11 巻(小学館)と『無車詩集』に収められ、『武者小路実篤詩集』の 110 ページにも載る。 『無車詩集』は 1941 年(昭和 16 年)に京都の甲鳥書林から出た詩集で、「無車」は実篤の号。

ただしこれは初出ではない。 国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索では、1932 年(昭和 7 年)刊の『趣味の人生観』(帆刈芳之助)に武者小路実篤を論じた章があり、そこに「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」が引かれている。 実篤 47 歳の時点で、すでに他人が引く言葉になっていたことになる。 書かれた年そのものは確認できなかった。

「35 歳から書き続けた」という説明は裏付けが取れなかった(未確認)。 確認できたのは、実篤が自分で絵を描き始めたのは 40 歳頃であること(吉兆庵美術館の収蔵解説)、「この道」の書画を 90 歳で亡くなる 1976 年まで繰り返し描いたこと、同館所蔵の水彩「この道より」が 1973 年(昭和 48 年)の作であることまで。

最後の行を「この道を行く」とする引用があるが、レファレンス協同データベースは複数の資料と武者小路実篤記念館の書誌で「この道を歩く」(コノミチヲアルク)を確認している。

原文

原文が日本語なので、字面を示す。 色紙・書によって改行と分かち書きは違うが、書として書かれるときはおおむね三行に分かれる。

この道より
我を生かす道なし
この道を歩く

1932 年の『趣味の人生観』での引用は「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」と一行。 「我」を「われ」と平仮名で書いた例もあり、レファレンス協同データベースの記録は「この道より われを生かす道なし この道を歩く」の形で採っている。

文脈説明。 「この道より我を生かす道なし」は「この道のほかに、自分を生かす道はない」。 選んだ道が最良だと言っているのではなく、他に道が無いと言っている。 そのうえで三行目は、決意や宣言ではなく「歩く」という現在の動作で終わる。

語句の説明

文語の言い回しだけ説明する。

語句 意味 メモ
より 〜のほかに 現代語の比較の「より」ではなく、下に打消しを伴う古い用法
我を生かす 自分を生かす 生活を成り立たせる意と、自分の力を発揮させる意の両方に読める
道なし 道は無い 「より」と呼応する打消し。二重に「この道しかない」を作る